沖縄ジジ通信
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かたみ節 解説 伊良皆高吉 投稿日:2013年10月28日 22:37 [返信]
かたみ節 (※かたみ=身を固める、盃をかためる、契りを固めるということ) ①さてぃむ目出度や 此ぬ御代に 祝ぬ限りねらん 【訳】偖も目出度い事はこの大御代に生をうけた事であるが その上に祝賀の限りがない事である 遊ビ楽シムヱ スリ 我ンヤカタミクイラ 千年マディン 【訳】ハヤシ=二人は歓楽をつくし夫婦の契りを千歳までも固めましょう (※人生を楽しく千歳までも幸せに愛しい貴方と共に居たいから身 を固める事を乞うのです 愛しい貴女と共に千歳になるまでも人生を 楽しく幸せに過ごしたい。その為に身を固めたいのです) ②一番願わば福禄寿 すぬ外 無蔵とぅ ちりてぃ 【訳】二人の一番の願いは福(富裕)、禄(繁栄)、寿(長寿)の三願いのほかに二人手を取り合って幸せに過ごしたい ③無蔵とぅ我んとぅや 元ゆりぬ 契りぬ 深さあたん 語れにんぐるに 【訳】恋女と私とは固めの盃を取り交わして契りが深く水も漏らさぬ二人の仲である (※貴女と私はこの世に生を受ける前から縁が深くあったのだから、お互い懇ろに生涯を過ごそう) ④百歳なるまでぃ 肝一ち 変わるな 元ぬ心 【訳】高砂の尉と姥のように百歳となるまで偕老同穴の 契りは変わらないように (※百歳なるまで二人の心が変わる事がないように神よ仏よあらし給え) 引用資料:喜舎場永珣著「八重山民謡誌」 ※の部分は伊良皆髙吉の解説 |
崎枝節 解説 伊良皆高吉 投稿日:2013年10月28日 22:33 [返信]
崎枝節(トゥマタ松節) ①とぅまた松ぬ下から馬ば乗りおるすや 【訳】トゥマタ松の下から威風堂々と 馬に乗って来られる方は? ②誰々ぬどぅ乗りおる 何り何りぬどぅ乗りおる 【訳】誰が乗って来られるのですか どなたが乗って来られるのですか ③崎枝主ぬどぅ乗りおる 主ぬ前ぬどぅ乗りおる 【訳】崎枝与人(村長)の乗馬である (※乗っておいでである) 崎枝目差(助役)の乗馬である (※乗っておいでである) ④崎枝主ぬまかないや 島仲屋ぬまんとうま 【訳】崎枝村長の賄女(マカナイ)は 島仲屋(シマナカヤー)のマントウマ(=乙女の名前)美人です シタリ ヤゥヌ ユバナヲレ ミルクユーバ タボラレ ※ハヤシ したり=よくもやったり 素晴らしい世の中になって下さい 弥勒菩薩の慈悲多く(天恵豊) 豊かで安寧な世の中を頂きたい 引用資料:喜舎場永珣著「八重山民謡誌」 ※の部分は伊良皆髙吉の解説 |
三線の話③~三線の奏法 伊良皆高吉 投稿日:2013年10月27日 22:58 [返信]
三線の話③ ~三線の奏法~ 琉球(沖縄)に於ける三線は、単なる楽器ではない事は前述した。三線を奏する場合には持ち方や弾き方に、原則的にではあるが決まりがある。 まず、三線は天(上)のほうを左手で支え、右腿に地(下)部分を乗せ、一般的には右手の人差し指にバチを用いる。三線の棹が奏者の左肩から胸を通る形になり、胴部分は奏者の体と平行になるように構える。 弦については、上から、第一弦、第二弦、第三弦となる。奏する場合は胴部分の上面に張られている弦の上に、バチを置き、そのまま真下に下ろすように弾く。その場合弾くことよりも、バチを止めることを意識することが大切である。 第一弦を弾く場合は、弦の上にバチを置き、真下に動かし第二弦上に留め置く。第二弦を弾く場合も同様、第三弦上に留め置く。第三弦の場合は、バチを弦の真下で止めるようにする。 バチを止めることを意識して奏することにより、太さの異なる各弦でありながら、音の強弱やリズムを調整しやすくなり、バランスのとれた弦音を生ずることができるようになる。 したがって、手首を大きく振り弦をたたくようなバチが弦から大きく離れてしまう弾き方は慎まなければならない。どの弦も同じような力でいたわりや心配りもって奏することが大切である。 |
ジジ通信新企画 伊良皆高吉 投稿日:2013年10月01日 19:28 [返信]
いつもジジ通信をお読みいただきありがとうございます。 静岡県の高橋さんより御要望をいただき、ジジ通信では曲の解説も行うことにしました。 次回「かたみ節・めでたい節・繁昌節・崎枝節・桃里節」の解説をUPいたします。 今後も皆様のリクエストにお応えしていきたいと思います。 ご意見・ご要望をお待ちしております。 沖縄音楽三線教室 主宰 伊良皆髙吉 |
三線の話①~三線の伝来 伊良皆高吉 投稿日:2013年09月15日 00:28 [返信]
三線の話①~三線の伝来 1392年中国福建省よりの閩人三十六姓(びんじんさんじゅうろくせい)が沖縄に帰化したときに、持ち込んだ品々のなかに含まれていた三弦の楽器、それが沖縄で初めての三線であると伝えられている。 当時の琉球国王・察度(さっと)は、中国からの三線をそのまま使用せず、琉球独自の楽器への改良を試みるべく宮廷内においてその研究をさせた。結果生まれたのが今日の沖縄三線である。その研究開発にどれほどの年月を要したのかは不明だが、三線が1558年に大阪へ伝えられた際には、すでに現在の型であったといわれている。 歌口~駒(うま)の長さは約60センチ(約1尺8寸)。 主要音(合・乙・老・下老・四・上・中・尺・工・五・六・七)を一握りの状態で弾くことができるのがその特徴である。 沖縄音楽三線教室 主宰 伊良皆高吉 |
無題 伊良皆高吉 投稿日:2013年09月03日 22:50 [返信]
皆様には「沖縄ジジ通信」をご覧いただき、誠に有難うございます。 さて、沖縄では600年の昔より武器に代えて三線を床の間に飾り政治を行い守禮之邦を治めてまいりました。 三線の糸(弦)が美しい音色を出し、それが調和して美しい調べを奏でるように、人々の心のハーモニーを求めて邦を治めた。薫り高い文化とそれを育んだ先達は我が沖縄の大きな誇りであります。 沖縄において三線は単なる楽器ではないことがご理解いただけると思います。 「沖縄ジジ通信」では9月15日(日曜日)より「三線の話」と題して、①三線は何時頃どこから来たか、②三線の各部分(ケ所)の名称や役割等について、私の体験等を加えて解説し、ご紹介したいと思います。どうぞご期待ください。 「沖縄ジジ通信」が皆様のご指導を頂いて、三線愛好者のよりよいコミュニケーションの場になる事を願ってやみません。 沖縄音楽三線教室 主宰 伊良皆 髙吉 |
沖縄のお盆 伊良皆?吉 投稿日:2013年08月16日 20:55 [返信]
今日8月16日は内地の送り盆で、8月13日から4日間家族と過ごしたご先祖様が黄泉の国へ帰られる日である。お盆はやっぱりご先祖様のことが心によみがえる祭節である。 私のふるさと八重山(沖縄)ではお盆のことをソーロン(精霊:ショウロー)といい、今年は8月19日(月)、20日(火)、21日(水)である。 19日の初日は「お迎え」といって、家族を代表する者がご先祖様をお墓へお迎えに行き自宅へお連れする。仏壇にはお菓子や果物、収穫した農産物が所狭しと供えられ、お盆の3日間は朝昼夜の食事も供えられ、家族と共に食事をする。 ご先祖様が居られる3日間のうちに親戚の家々をまわって焼香する習わしである。また、各家ではご先祖様をもてなすために三線を奏でたり、アンガマをお招きして供養する家もある。アンガマとは黄泉の国からご先祖様が来られて、在世の人々と問答をしたり色々と交わりをもち、人の道を諭すのである。 3日目のお送りの日は、夜中の12時までに家族全員が門の前に出て焼香し、「ご先祖様、気を付けてお帰り下さい。来年もまたいらしてください。」とお見送りする。 |
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