本日 67 人 - 昨日 104 人 - 累計 574921 人
  • Search

  • Moblie QR
  • 携帯電話からも
    アクセス
  • Counter
  • 00574921 人
    本日: 0067 人
    昨日: 0104人
  • Social Media
目出度節 解説 伊良皆高吉 投稿日:2013年10月15日 22:48 [返信]
目出度節

歌詞① 松は千年の齢を保ち メデタイメデタイ
     老いてぃ若やく サンサ 事ぬ嬉しゃ メデタイメデタイ
【訳】※松は千歳の令(ヨワイ)を保ち
     老いても尚春には緑を増し(華やぐ)事が出来る なんと素晴らしい事か

歌詞② 庭ぬ呉竹節々ぐとぅに 君が万代の 祝くみてぃ
【訳】※庭の竹は節々によって直ぐ伸びて居る
     人もこの御代に生を受けた事に感謝し 人の道を進む事により直ぐ生きていけるのです

歌詞③ 軒端ぬ梅は初春ぐとぅに 花も匂いを 勝るなり
【訳】※梅は風雪に耐えて年輪を重ねる程花も香りも勝る
       人も同じで世の荒波に耐え年輪を重ねた者ほど尊いものです

※伊良皆高吉解説

言葉の意味と由来を教えて下さい。 じんじん 投稿日:2017年09月19日 23:13 [返信]
いつもお世話になっております。
じんじんと申します、

先日伊良皆教室のメンバーでしかあざサニシャン祭に参加させて頂きました。

とても賑やかなあったかい楽しい会でした。

SNSサイトで、質問が有りました、
第19回東京しかあざ会総会「サニシャンまつり」

意味を教えて下さい

と、、、

しかあざは、字石垣・字大川・字新川・字登野城
サニシャンは、嬉しい

とネットに有りました、合っていますでしょうか?

この会を始めるにあたり、名前を付けた由来等
御座いましたら教えて頂けますか?

三線の話②~三線は宇宙 伊良皆高吉 投稿日:2013年10月01日 00:35 [返信]
三線は棹と胴、そこに三本の絃が張られて成っており、35ヶ所に名称がある。

今回は三線の心に関する説明に特に必要な部分、すなわち天(棹の上部)、地(胴)、浜(胴側面:手掛けの上部)、磯(手掛けの下部分)、人(男絃・中絃・女絃)をとりあげよう。

三線には天があり、地があり、地には浜あり磯あり、すなわち海がある。天と地の間には人間が存在する。
私の解釈になるが、三線の名称を紐解くと三線という楽器そのものが地球をあらわしているように思われてならない。そして三線を奏でることにより、三線とその奏者は宇宙に繋がっているといっても過言ではない。

沖縄音楽三線教室 主宰 伊良皆髙吉

※添付画像:沖縄県立博物館特別展(三線のひろがりと可能性)より引用

IMG.jpg
2. Re: 三線の話②~三線は宇宙 崎原真弓 投稿日:2016年03月03日 19:39
本を読みました。とても感動いたいました。ありがとうございます。素晴らしい本に出会い、あらためて三線文化の奥深さを知ることができました。感謝いたします。

なかなん節 伊良皆高吉 投稿日:2015年12月22日 21:15 [返信]
なかなん節

一、ナカナンぬ女童 ウツィナンぬあふぁりす
【訳】ナカナン(中並)乙女は ウツィナン(内並)美女は
   中並、内並は同じ家である
囃 スユイ マーバ ミーガウナー

二、まふくりとぅばんとぅや まびぎりゃとくりとや
【訳】真保久利(男の名)と私は 兄貴(愛人)と私は
囃 スーユイ マーバ ミーガウナー

三、いみしゃから夫婦(みゆとぅ)ぬ くゆさからいてぃぐぬ
【訳】幼少の頃から夫婦(許嫁) 幼いころから一期(いちぐ・一組)
囃 スーユイ マーバ ミーガウナー

四、みうとぅぬけ知らるぬ ◎いちぐぬけ知らるぬ(八重山古典安室流保存会)
             ◎トゥバラぬけ知らるぬ(与那国地元)
【訳】夫婦別々(離れ)は考える事は出来ない(知らない)
   一組(離)けては考えられない(知らない)(八重山古典安室流保存会)
   相愛の仲を離けては考える事は出来ない(知らない)(与那国地元)
囃 スーユイ マーバ ミーガウナー

囃 スーユイ マーバ ミーガウナー
  スー=本当に
ユイ=ゆえに
  スーユイ=大切な人=本当に愛する人
  マ=愛称
  バ=を
  ミガウ=見果報=見ているだけでもありがたく思う(見取れる)
  ナー=~している状態
※【訳】心から愛する人を(だが)見取れるしかなかった

【訳】与那国民謡工工四全巻(与那国民俗芸能伝承保存会発行)
与那国語辞典(池間苗著)
※の訳は伊良皆髙吉の私見です。反論及びご指導を乞いたい。

やぐじゃーま節 伊良皆高吉 投稿日:2015年03月25日 01:00 [返信]
やぐじゃーま節

一、うさいぬ 泊ぬやぐじゃーま 作田節ば 詠(なが)みょうる

 【歌意】村番所(ウサイ)の泊に棲む「ヤグジャーマ」蟹が昔
      節の作田節を弾しているように見える

  ※村番所(ウサイ)の泊に棲む「ヤグジャーマ」蟹でも、作田節を弾けるぞ


二、うりが隣(とぅな)いぬ 白(しら)かちゃや うりに合しょてぃ
 三味線(さみしん)ばぴき 詠みょうる

 【歌意】そのお隣の(白かちゃ)(招潮子)も作田節を合奏しているように見えた

  ※その隣の白かちゃ蟹もそれに合わせて詠む(合唱)することができるぞ


三、生(ま)りる甲斐 産(しぃ)でぃる甲斐 がざみぬ中なんが
 子(ふぁ)ば産(な)し みやむな

 【歌意】蟹に生まれるくらいなら「ガザミ蟹」のような強者の中に強い子を生んでみたい
ものである

  ※蟹に生まれるなら「ガザミ蟹」(役人の血を引いた)(身分の高い)との間に生まれて
みたいものだが


四、うるじゅんぬ 若夏(ばがなちぃ)ぬ なるだら いざられぬ事 思(うむ)い
 
【歌意】陽春の若夏の頃になると 漁火のくるのが気がかりだ

  ※四、五
 陽春の若夏の頃になると 漁火がパチパチと音をたてて近づいてくるのが怖くて
生きた心地も失いかわいそうだ


五、うまゆ見りばん かまゆ見りばん 炬(たい)ぬ火(ぴぃ)や
 あからぱたらし 走(ぱ)りきいば

 【歌意】比処を見ても彼所を見ても 炬の火がぱちぱちと音をたてやってくるじゃないか
  

六、大爪(うふちぃみ)ゆ なが爪ゆ ぷちゅるぱたらし かかれぬ しんさ

 【歌意】この大事な「大ばさみ」が漁火人の足で無造作にぶっかかれる音と共に折れる
ときのつらさよ
  ※「ガザミ蟹」の大きなつめ(お前(役人)の自慢の大きな権力も)折られるぞ
   その時のつらさは可哀想だ


七、何(な)ゆ頼(たぬ)み いか頼むまばどぅ 我身(わどぅ)や 隠くさりる

 【歌意】「まぁ」何を頼ってか弱い身の安全を計ろうか

  ※いざとなると、己の弱い身を守る術を考えるだろうよ


八、大ちぃぶしぃ とぅんだぶしぃ 頼まばどぅ 我身(わどぅ)や 隠くさりる

 【歌意】「オヒル木」や「大葉ヒル木」等の呼吸根などを頼んでこそ身は安全だ

  ※ヒルギの根を頼むことで身の安全を守れる 我々ヤグジャーマと同じだよ


この歌(ヤグジャーマ節)は大史姓の作品だといわれており、一族内では祝祭日、正月、盆等、本家の長男と数名の関係者が唄三線を霊前に奉納して、祝に移る。尚、外部に知られないように気を配って行っている様子で…。

作田節とは、五穀豊穣、国のはじまり、音楽のはじまり、治国平天下、同胞親睦、長寿繁栄などすべて祝福すべき歌ばかりである。したがって、特権階級が歌う歌であった。

ヤグジャーマは蟹の名前で食されることがなく人間には全く相手にされない。
ガザミは蟹の名前で、美味で貴重な蟹である。(例:ノコギリガザミなど)

八重山民謡誌(喜舎場永珣著)より引用
※は私的の解釈である

仲筋ぬヌベーマ節 伊良皆高吉 投稿日:2015年03月25日 00:58 [返信]
仲筋ぬヌベーマ節(竹富)

一、仲筋ぬヌベーマ ふんかどぅぬ 女童 (スーリーヨウ) イユサヨー ヒーユウナー

【歌意】竹富島仲筋のヌベーマ女は 仲筋村(幸本家〈こうもとけ〉)の乙女であった

  ※イユサ=イーユン=イールン(もらう)
 ヒーユウ=ヒーン=ヒール=ヒーユン(クゥイユン)=上げる(あげる)=差し上げる
【もらいたいとの事なのであげるのですよ、と解釈することができると思うが】


二、一人(ぴとぅり)ある女子(みどぅなふぁ) たぬぎゃある 肝(きぃむ)ぬ子(ふぁ)

【歌意】一人子の箱入り娘であった 一人子の掌中の珠であった


三、ぱなり夫人(ぶどぅ)持(む)つぁしょり うとぅぎゃ夫人(ぶどぅ)持(む)つぁしょり

【歌意】新城島の役人の賄女にやり 遠島の役人へ嫁がせたのです


四、なゆぬゆん持(む)つぁしょる いきゃぬゆん持(む)つぁしょる

【歌意】どんなわけでヌベーマをやったのか いかなる理由で嫁がせたのか

◎八重山古典民謡誌(喜舎場永珣著)に10番まであるが、
安室流保存会工工四(玉代勢長傳著)の歌誌は上記4番までである。

八重山古典民謡誌(喜舎場永珣著)引用
※は私的の解釈である

※八重山古典民謡誌(喜舎場永珣著)に10番まであるが、あまりにも悲哀で
歌う者も涙なしでは唄えないほどである。

与那国しょんかねー節 伊良皆高吉 投稿日:2014年11月11日 23:44 [返信]
与那国しょんかねー節
一、暇乞(いとぅまぐ)いと思(うむ)てぃ 持(む)ちゅる盃(さかずぃきぃ)や 
目(み)涙(なだ)あわむりてぃ 飲(ぬ)みぬならぬ
 【訳】もうお別れせねばとの別れの盃は 涙溢れて 飲むことが出来ません
 囃子  ウゾナリムヌヨー ハーリー ションカネーヨー

二、与那国(ゆなぐに)ぬ渡海(とぅけ)や 池(いき)ぬ水心(みずぐくる)
   心安す(くくるやしぃ)安す(やしぃ)とぅ 渡(わた)てぃ給(た)ぼり
  【※訳】与那国島に往来する海路は 池の水のように穏やかです
    どうぞ心置きなく(安心して、無事に)お渡りください
 囃子  嘉利吉(かりゆし)しょりよ ハーリー 里前(さとぅまい)ヨ

 【※訳】
ウゾナリムヌヨー=ウドゥナリムヌヨ=こうなってしまった
  ハーリー=アハリー=哀れな
  ションカネヨー=スンカニヨー=今日一日だけでも引き止めておけないものか(停めておきたい)

嘉利吉=航海安全で渡って下さい
  ハーリー=つらいけれども
  里前ヨ=愛しい貴方様よ

【※訳】は伊良皆高吉の解説


※与那国では死者を送り出す時、現在でもションカネに各人の気持ちを込めて唄う。

白鳥節 伊良皆高吉 投稿日:2014年11月11日 23:21 [返信]
白鳥(しらどぅや)節
解説は喜舎場永玽著八重山民謡誌(沖縄タイムス出版)引用
※は私(伊良皆高吉)の私見である

一、白鳥(しらどぅるぃ)ぬ 美種(かいだに)主(しゅう)やよー
  【訳】白鳥のような美男子のお役人が私の殿原で
  囃子 クイヨー トゥバラーヨ

二、白鳥(しらどぅるぃ)ぬ生(ま)りや くいよう
  【訳】白鳥のような生まれのお役人様が賄女の恋男で
  囃子

三、美種(かいだに)ぬ産(すぃでぃ)でぐちゃくいよう
  【訳】美男子の産でた容姿は肌白く美しい生まれでした
  囃子

四、胴白(どうしる)かい(美) 生(ま)りばしくいよう
  【訳】肌白く美しい生まれでした
  囃子

五、夏ぬ水(みずぃ)なをだき
  【訳】夏の水を如何程
  囃子

六、飲(ぬ)み欲しやありどん
  【訳】飲み欲しくあっても
  囃子

七、天(てん)ぬ星(ふし)なをだき
  【訳】天に輝く星を如何程
  囃子

八、首そ(す)りてゆむとん
  【訳】首を反らして読む(数える)ことは出来ても
  囃子

囃子 クイヨー 【※訳】乞う=欲しい
   トゥバラヨー 【※訳】愛しい=愛しい人を

この白鳥節は安室流工工四歌詞に基いて解説した。
尚、八重山民謡誌では喜舎場英整の歌詞を用いており、歌詞の量(字数=長さ)において
違いがある。又、歌詞の順番においても違いがある。

鳩間節 解説 伊良皆高吉 投稿日:2014年06月26日 16:37 [返信]
鳩間節

八重山民謡誌(喜舎場永珣著)は12句まであるが、ここでは八重山古典音楽安室流保存会(玉代勢長傳著)工工四の6句を解説した。

一、鳩間中岡走り登り 久葉ぬ下に走り登り
【歌意】鳩間島の中岡に走って登り クバの下に登って

二、美しゃむいだる岡ぬ久葉 美らさ連だる頂ぬ久葉
【歌意】美しく林立している岡のクバよ 立派に並列している頂上のクバよ

三、前ぬ渡ゆ見渡しば いく舟来る舟面白え
【歌意】前(南の方)の海を展望すると
    新開地を往来する舟は面白い(※すばらしい)

四、まんが南端見渡しば 浜ぬ見るすや小浦ぬ浜
【歌意】対岸の西表島を展望すれば
   白布を引延べたように見えるのが小浦の浜である

五、小浦ぬ浜から通人や 蔵ぬ前ぬ人ぐくる
【歌意】小浦の浜から通行する人々は
 ちょうど蔵元政庁の大路を大様な態度で歩く風情である

六、いんだふく浜下ばなり 舟浦地やかますぬ地
【歌意】インダ、福浜、下離等の地質(※土地)は
 上原舟浦の地より地味は肥沃(※勝っていて)却ってよかった

囃子
ハイヤヨー ティバ カイダギ チトゥユウル デンヨー マサティミグトゥ
※【意味】
ハイヤヨー=南には
ティバ=ジーバ=新開地=新しく開拓して得た土地
カイダギ=かき抱く
チトゥユウル=シャドゥル=仕明地=開墾地
デンヨー=非常に
マサテイミグト=勝って見事

※の部分は伊良皆髙吉の解釈

沖縄、八重山には数多くの歌があるが、鳩間節ほど(心にしみる)歌は少ないと思う。旋律、歌詞、ハヤシに込められた歴史的背景と作者及び島人の心情や思いを考察して期を改めて所見を述べたい。

たのむぞ節 コロリ 投稿日:2013年12月15日 11:27 [返信]
まるま盆山節の替え歌で「たのむぞ節」というのがありますが、残念ながらまだ聞いたことがありません。
たしかに最後のところが似てますけど。
タヌムじゅでないと無理があるかなあ。
2. Re: たのむぞ節 伊良皆高吉 投稿日:2013年12月25日 18:52
コロリ様
まるまぼんさん節のご質問、有難うございました。
回答が遅くなりましたことをお詫びいたします。
別添A-1~A-4の歌詞は異なっているが、旋律は同一であると思われる。
これらの曲がいつ、誰の作であるかについて
A-1 まるまぼんさん節は(1670年頃)錦芳氏6代慶田城用見が
(西表島)慶田城村役人の時代に作詞作曲され伝承されたものと
地元では伝えられている。(西表民謡誌と工工四、石垣金星著)
A-2 キヤリヤイヤ節は(1716~1775年)屋嘉比親雲上朝寄が編纂した
屋嘉比工工四(1751年)に認められる。
A-3 タノムゾ節は明治2年(1869年)野村安趙編纂 野村工工四
A-4 タノムゾ節は明治45年(1912年)安冨祖流工工四(安室朝持編纂)

A-2、キヤリヤイヤ節 キヤリ=木遣りと思われるので、調査をしてみたいと
思っている。
A-3、4は曲名はタノムゾ節であるが、歌詞の中では「ヒヤ・マッタモ」で
終わっている。
上記工工四を比較してみると、年代的な面から最も古く生活の匂いがより感じ取れる事等も併せて、地元で歌いつがれている詩句が元になったと思われる。


A-1.jpg A-2.jpg
3. Re: たのむぞ節 伊良皆高吉 投稿日:2013年12月25日 18:53
工工四 A-3,A-4

A-3.jpg A-4.jpg
4. 無題 Johnf45 投稿日:2014年04月29日 00:14
Keep working ,impressive job! debdbbedfffe

1 | 2 | 3 次の10件>>